@靖国問題 
  高橋 哲哉(東大大学院文化研究科教授) 筑摩新書 720円+税
A憲法九条を世界遺産に  
太田光(「爆笑問題」)・中沢新一(多摩美術大学教授) 集英社新書 660円+
Bこの厄介な国 中国
岡田 英弘(東京外国語大学名誉教授) WAC文庫 840円

●書  評:
五十嵐貞一
  
 上記3つの全く異質ともいえる著書を読んで、「『国』とは何か」、「「『国』のために死ぬ」とは何なのか」、「「平和を祈念する」とはどういうことか」、を改めて考えさせられた。


 「靖国問題」の高橋教授は、「靖国神社の本質」を国家のために戦って戦死した者を国家として顕彰するための装置として位置づけ、「国家が国のために死んだ戦死者を追悼しようとするとき、その国家が軍事力を持ち、戦争や武力行使の可能性を予想する国家である限り、そこにはつねに、「尊い犠牲」「感謝と敬意」のレトリックが作動し、・・・・国家は、必ず戦没者を顕彰する儀礼装置をもち、それによって戦死の悲哀を名誉に換え、国民を新たな戦争や武力行使に動員してゆく。」と述べる。中国・韓国が、靖国問題に警戒感を持つのも、日本人の多くが「「普通の国日本」が国家のために死んだ者を追悼するのに外国からあれこれ言われる筋合いでない」と反発するのも、多分、靖国神社の上記のような本質にかかわる感情の故であろうと思われる。ただ、著者が、この施設は、「不戦の誓いを新たにして平和を祈念する施設」とは本質的に異なるとする点には同感である。

 この点を鋭く指摘している点に、本書の素晴らしさがある。

 「爆笑問題」の太田光氏は、日本国憲法第9条は、「「普通のもの」ではない「「世界の珍品」である。」と喝破し、それゆえに、「世界遺産に指定するに値する」ほどの貴重なものであり、人間がおろかであり間違いを犯すかも知れない危険があるからこそ、こうした理念を守ろうとしてゆくことが大切なのではないか、と問いかけている。日本国憲法は、「国家」を守るという従来の観念では説明できない高い理念が語られているといいたいのであろう。ただ、憲法9条を守ろうとする場合、「相当な覚悟と犠牲が必要となる」ということも鋭く指摘している。生半可な、平和主義では、憲法九条の理念は守ってゆけない、「状況によっては死ぬ覚悟が必要だ。」という指摘を噛み締めた上で、これまで日本人が60年にわたってこの憲法を守ってきたことの意味を考えてみていただきたい。

 岡田英弘氏の著書は、「中国人とは、これこれである。」と決め付けることに違和感を持つ評者としては、同意できない点も多々ある。しかし、随所に、著者独特の鋭い感性が読み取れて面白い。特に、近代国民国家の観念を歴史的にフランス革命後に成立した新しい概念であるとし、中国が国民国家たりうるか、を問いかけている。共産党が統治する中国が、国民国家として「愛国主義」で統一されるものなのか、そうしたときに、中国人民が、「国のために死ぬ」国民軍として、憲法を改定した普通の国民軍を持つ日本と対峙することが将来、あるのか、深刻に考えさせられる課題である。

 総じて、グローバル社会といわれる今日において、国民国家の意味と国民国家を愛することの意味を、考えさせられた文献であり、ここにご紹介する。